医療業界から逃げた看護師ぱんだ

私ぱんだは逃げました。しかし恥ではないと思います。その前に、みんなに言っておきたいことがあってね。

逃げるが恥ならコロナでタヒね!!

やあお久しぶりです。ぱんだはTwitterをやっているんですけれどね。

半分情報収集もかねておりまして。医者や医療関係のアカウントをフォローしてますねー。

もちろん、良い情報もないわけではないんだけれど、清濁混じった情報の海で、

これは有益かどうかを見極めるのは難しいこと。医学を齧った人間でないと正しく選択できないので、

医者の言ってることが「わからない」人はTwitterをやめましょう。

 

まあTwitterで話される医療者の意見ってのは、みーーーんな同じ色をしている。

かくいうパンダもそう。本当にね、おんなじことしか言ってないんだよね。

おんなじところで、ずーーーーっとおんなじことを呟いている。

やれおつぼねだ、残業がー、なんだかんだと。

 

「私たちは不当に扱われています!!助けろください」

 

アホかって思います。なので、Twitterで医療者アカウントをフォローするのも、

休み休みにしたほうがいいなっておもいました。いかに頭の弱い人間の方が

看護師には多いかっていう印象だね。

 

Twitterでねー、こんな呟きがあったので晒しまーす。

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せめてものタムケとしてアカウントは伏せてあげました。

 

いやね、これがさぁ、自分の親だったり肉親だったら、どう思うかって話。

コロナになっても?病院を憎むな?死ぬかもしんない?

 

ふざけんなよ。生殺与奪の権を!他人に握らせるな!!!じゃないの!?

 

親が死ぬのを、口開けて待ってんのか!!!!黙ってみてんのか!!!!

 

子ども残して、コロナと向き合うわたしかっこいい!!!(!?)

 

クソだな。

 

わたしがこの子ども(成人してそうですが)の立場なら、全力で

母親を止めますね。いますぐやめてきてって。

そして、看護師資格を恨みます。わたしは二度看護師資格によって殺されたと思うでしょう。

母を奪い、生活を奪った看護師資格を恨むでしょう。

 

なんでそこまでして行くのか。いかなければならないとなぜ思い込むのか。

 

お前の代わりはいくらでもいる。

 

いいかげん、金太郎飴ごっこを真剣にやるの、やめたら??

 

久々に呆れ通したので投稿しました。

 

コロナで逃げるは恥。であればコロナで死んでどうぞ!!!!以上!

 

 

はぐれ看護師のCOVID-19への見解

 

みなさま大変お久しぶりです。ぱんだです。

半年はまだ経ってませんが、転職後忙しくしており慣れるまでブログをお休みしておりました。

ぱんだのバイト先は飲食のため、週末は休業となってしまい、土日はゆっくりとお休み三昧でございます。

 

さて、いまは世の中コロナだらけですね。

ついに緊急事態宣言をうけ、ぱんだの職場も慌てふためいておりますね。

ただ、ぱんだは濃厚接触者でもなんでもありませんが、コロナだろうとなんだろうと

職場には身を置かなければならない人間ですね。あーあ恐ろしいことに。笑

 

こういう時に、YouTuberみたいなことを早くから始めていればよかったんですがね笑

今は「ミラティブ」というスマホアプリでゲーム実況(生)をやっていくのが精一杯ですね。

もうすぐまた引越しですので、そうしたら晴れて、パンダもYouTuberデビューをしますぞ!乞うご期待ですな。

 

話を新型コロナに戻しますけどね・・・

 

不要不急の外出はダメとはいうものの、やはりお散歩程度には外出していますね。ぶっちゃけ。

飲み物をテイクアウトして、都心のお散歩もたまには良いものですよ。

5日間働きずめですから、何も考えないで歩くことは大事です。もちろんお買い物も兼ねていますけどね。

 

そこで、ぱんだは思ったんですけど…家族総出で買い物に来ているのは何事かと思いますね。

父親母親子供二人…しかもうち一人は赤子…これはいったい?!

 

職場では管理職の妊婦が張り切って働いている… バカなのかな!?

管理職こそテレワークにしろ…?

 

大家族で買い物に来る理由はおそらく、お一人様一点商品を買い占めるためでしょうね。

とゆうか乳児を連れ回すのはバカとしか言えない。保育園の帰りにしても、家族総出には通常ではならないですよね。

そもそも買い占め思考こそバカですね。コロナになってコロリすればいいと思いますー。

 

職場に来ている妊婦には目も当てられないですね。余裕がなくて職場に一人しかいない看護師の我に

八つ当たりしてきましたからな。豆腐の角にでもぶつかって休んでほしいですねー。

妊娠期で感染症になんかなって、知的障害のある子どもになっても我は知らんです。

自分の母親が感情で生きてるだけの低脳じゃなくて良かったとほっとしていまーす。

防げることも防がないで、子どもが五体不満足どころか死産でも自業自得ですよ本当。

 

街中は気持ち悪い老人もいないので、殺風景ではあるけれども快適ですな。

 

電車も完全換気が徹底されていますが、ぱんだはあまり乗りたくありませんな…

まあでも、通勤時間は20分程度ですから、いいんですけどねー

 

ぱんだの職場は、コロナ感染が職員に一人でも出たら休業になるそうですね。

なので、ぱんだは絶対に申告したくありませんねー。風邪っぽいので休みます、といって2週間休めば良いだけですから。

それかテレワークですな。ああ。広告収入の準備をもっと早くしておくんだったな。

 

現場の場末看護師たちは本当に大変ですねーえ。コロナになってもお前が悪い状態でしょうね。

医療機関はそれでなくとも老人天国なのに、コロナで院内感染だーなんだかんだ言ってんですから、

もう干からびきった身寄りのない老人などはある程度 減ってもいいと見切るのも必要なのではないですかな?

 

コロナで死んで怒っている遺族がいたとしても、寿命と思えないのは、貧乏人の発想ですなぁ。

コロナごときでコロリしちゃうぐらいの体力しかないんなら大した余命でもなかったんでしょうよ。

 

外出禁止もできないし、東京都はこんだけコロナが蔓延してますから、逃げ切るのは無理だと思います。

休業したとしても手当てがないし、国から30万ぽっきり貰ったとしても生活できないんですからね。

それでいて、マスク作りにお金かけすぎでしょう…アベノマスクは、デザインがあまり好きではないので

ぱんだはキッズマスクでなんとか対応しておりますぞ・・・もらいましたけどね^^

 

また、PCRの検査など怖いからしたくないですねーえ。痛いそうじゃないですか。。。

 

今回のコロナショックについては、なるようになるんですよ。かかりたくないなら仕事をやすめ。

消費者金融にでも生活費程度金借りて休めよ。籍だけ離婚にして扶養を書き換えてシングルにして国からお金をもらうなど

したって今の時期、世間の目なんか気にならないですよ。コロナ離婚でいいじゃないですかね。

 

どうせぱんだのような独身が重労働を強いられるんですからな。扶養ないからといって明日の飯の金はありませんぞ。

 

この限界体制がいつまで続くのかはわかりません。医療従事者らがボイコットをするんじゃないかと思っていますよ。

とはいえ・・・看護師はおバカな連中がおおいので、無価値な正義感をもって働きに出かけちゃうから無理か。

世間は思ってるほど、頭のいい人間はおりませんからね。

 

ぱんだも積極的にテレワークを考えないとダメになりそうですなぁ・・・

 

いろいろ言いたいことはありますが、あんまり前向きな意見も持ち合わせてませんから、

今回はここまでにしておきましょう。

 

コロナに負けず。いきていってくださいな。おしまい。f:id:panda6771:20200412143417j:image

 

 

 

貧困と貧困層の違い

 

なんてタイトルにすると、ぱんだは大金持ちなのかといえば違います。

豊かな考えをもった大人と、やましい考えをもった大人はどう違うのかという話をしたいと思います。

 

ぱんだはたしかに、承認欲求に飢えています。

この間Twitterで、「添い寝屋さん」のアカウントを見つけてフォローしました笑

ブログネタ的には、行った方が面白かったのかもしれませんが、

ぱんだは考えるよりもあきらかにわかることがあったので行くに至りませんでした。

 

確か、15分8000円 だった気がします。

オプションでキスとかタッチとかできるのかは定かではありませんが、

個室で女の子と抱き合って15分おねんねできて8000円です…

 

どう思いますか?

お金がないから行かないと思ったあなたに問います。

無料ならどお?お金いらないから寝てみない?って言われたらいきますか?

ぱんだならいきます。タダならこっちも手持ち減らないし、経験にもネタにもなるんですから。

 

あるいは、使い道に余るほどお金があったらどうですか?行きますか?

ぱんだなら行きます。働かなくてもいいほどお金があるんですから、お金でどこまで楽しめるのか。。。

ものは試しにと行くと思います。

 

そして知るのだと思います。そう、お金で得られるものはなんと矮小なものであるのかと。

 

お金である程度のものは得られます。高級バッグやら高級賃貸、パーツで身を固めれば、それが

外見のステータス向上になりますよね。手っ取り早く見栄をはるにはちょうどいいのかもしれません。

お金は便利だし、ある程度のものを満たしてくれる。

 

現実に戻るけれども、お金を得るには働いていますよね。少なくとも

生産年齢人口の若者は働いていますよね。何のために働いているんでしょうね?

 

社会で認められたいから?食っていくために?お金を得たい?それぞれ、仕事に対して様々な期待をもっているから

仕事をするんですよね?好きだろうが流れ作業だろうが、生きるために仕事をしているんですよね。

 

世の中には働かなくて良い仕組みもありますね。なぜ働きたくなくても生活保護にならないのか?

社会から爪弾きにされてまで…という社会的欲求の意地でしょうか。それはそれで生き様ですよね。

ぱんだは一度生活保護になってしまおうかと思ったことがありますが、ちょっと家族とも離れたところで

しばらく生活するだけで、生活保護にならなくても良くなりました。

冷静になって考えれば、生活保護へのメリットがなくなりました。

 

生活保護になろうと思って生活保護になるより、今できること、あるいは仕事をやっちゃう方が楽なんですよね笑

ぱんだは、たまたま看護師資格を持っていたので、それが生活の維持に役立ってはくれましたけれど…

まあ、生活保護になって、落ちていくところまで落ちてみるのも、また一興だったのかも知れませんが。

ぱんだにとって、生活保護を得るより、楽だったのは仕事を続けることでした。

環境の変化をとことん嫌う性。いったい誰に似たのか笑 いや、社会的生命体の本能か?

 

貧困と貧困層の違いについて、考える要素についてはこれまで触れてきました。

タイトルに戻って考えてみましょう。

 

収入が低いことが貧困なのでしょうか。

収入が低い層が貧困層なのでしょうか。

 

そんな単純な世界だったら、苦労しませんよね。思い悩みませんよね。

 

貧困がもっとも貧困なのは、自分が貧困であることに気がつかないことにあります。

自分がひもじい考えをしていることに気がつかない。それが貧困ですよ。

そして貧困層にいる限り、その環境が劣悪なことにも動じず、おかしいとも思わないのです。

 

モノの価値が分からないことが 貧困 そのものです。

モノとは、自分自身の気持ちも含めて、のことです。

 

必ずしも収入の良い人間、富裕層が豊かであるとは限らないんですよ。

ぱんだは幸い、どちらの世界を垣間見ることができた存在だと思います。そして

貧困層と富裕層の格差が埋まらない要因を見つけました。

 

それはシンプルだけれど、もっとも価値のある存在でした。

言葉にすると「愛情」「思いやり」ですね。

結局 愛 ですか、となってしまうのであればそれまでです。ぱんだは何もここで、愛を説こうなどとも思ってません。

 

貧困とは、愛情を感じられないこと、優しさを疑ってしまうこと にあると言えます。

みんな生まれながらにして生きる術を身につけていますよね。

乳児の時は、泣いて親にあたる人物に世話をしてくれるように訴えているじゃないですか。

時には笑って、親にあたる人物に愛情を求めているんです。生まれながらに、笑うことを身につけているんです。

 

自分の満たされなさは乳児の頃の生育環境に遡って考えられるでしょう。

発達段階のどこで、心の発達が適切にできていなかったか。

子供の頃の安全基地はありましたか?周囲の人の顔色を伺ってませんでしたか?

わがままを遠慮してませんでしたか?叱ってくれる人はいましたか?

危ない行動をしたときに、咄嗟に庇ってくれる人はいましたか?

自分のために、泣いてくれる人、喜んでくれる人はいますか?

 

そういう存在が、裏切らない存在が身近にいれば、それは豊かであると言えます。

または、大人になってから理解できる親の愛情もありました。

ぱんだが親になった時も、きっと知らない感情に会えるのだと思います。

親としてでなくても、後世に何かを残したい思いも、人類にとっての愛なのではありませんか。

 

ぱんだは 人が好きです。健気で、同じ失敗をしても必死に生き続けようとする。

神のような存在を本能で知っていて、何度も生きていこうとする。

その生存本能が働かなくなった状態が、いわゆるうつ状態なんですよね。

簡単に生きることを説くのであれば、今すぐやめなさい。とだけいっておきます。

実践するエゴで助かるものはあるかもしれませんが、所詮エゴは慈愛にはなりかわれないです。

 

貧困は人を殺します。環境は自分以外の人間を含んだものです。

自分が貧困でないか考えること。それには知恵が必要です。

自分のために、自分を知るために学んでください。これまでの歴史、作ったもの、人のことを少し考えてください。

 

今いる環境自体が刺される前に刺す、差し違えてでも殺せが常識な場所と思うなら、

それは貧困な層にいると言えます。

環境を変えることは不可能です。自分が、別の環境に行く方が、よっぽど

未来の自分にとって有益です。人の関わりで貧困になったのなら、人の関わりで裕福にもなれる。

一緒にいる人間を変えなさい。たとえ親であったとしても、産んでくれたことだけに感謝し、あとは自分を生きなさい。

それはもったいないことです。自分に与えられた時間を毒親のためにすり潰すのは。

神は、自らの価値をわからないものには叱ります。自らを蔑ろにするような生活をする者を叱ります。不幸という形で。

 

結局収入よりも、心の豊かさが先です。

聖書では、地上に富を積むのは愚か者と言われています。盗まれるし、虫に食われる。

しかし天に富を積む人は幸いであるとも書かれています。

 

心に幸せを積むことは、財産を天に積むことだと言うことです。

大切なことほど目に見えません。しかし、思いやりを目に見える形で与えるなら、それは

学費だったり、あなたが欲しがってるおもちゃだったり、、、日々のご飯もそうですよね。

自分が自分のために、好きなことをする・・・それだって、自分への思いやりですよね。

 

自分を大切にできる、大事にできる人は信用されます。

人一人守れないで、誰を守れるというのか。

そういう人に、神様はひょっとしたら 気の利いたいたずらをしてくれるかもしれませんね。

 

大変長くなりましたが、昨年より思い描いていた渾身のネタ、でした。

 

2020年、まずはやりたいこともやって、自分を幸せにしてあげてください。

収入は後からついてきますから、焦らず…

 

また気が向いたら書きます。ではまたね。

社会で生活する健康な現代人への看護師の役割論

 

役割看護論者のぱんだです。こんにちは。

 

現代の看護師の役割が あまりにも

狭すぎることについてお伝えしていきたいと思います。

 

ポケ廃の常識である、役割論理のロジカル語法は封印します。

今回は一般の方々に向けた内容になっております故。

マニアックな話はありません。どうぞ よろしくお願いいたします。

 

さて

 

今まで30年近く生きてきた現代人にとって

看護師の印象とは、クリニックで働いている注射する人、とか

病棟で患者の身の回りの世話をしてくれる人…

 

まぁこう言った認識がほとんどだと思います。

医療関係に触れたことのない人の認識なんてそんなものだと思ってます。

 

医療従事者の常識が、一般企業に勤める社会人の非常識であること。

これは医療従事者にとっては然るべき問題です。

病院に関わらない全ての社会人にむけて、

最新の医学の周知、医療の提供をすることも我々医療従事者の役割です。

 

これまで 様々に医療・福祉は発展してきました。

多様化していく医療に合わせて、看護師の働く場所も

病院・クリニック以外にも、実はとっても多いんですよ。

 

とは言いましても…

 

実際、看護師として働こうと思った時。

かなしいけど 病院・クリニックを選ばざるを得ない現状があります。

企業などの求人は枠が確かに少ないです。他は短期バイトなどは

ありますが、常勤で働かなくては生活の保証がありません。

結局募集がないことが理由で、病院・クリニックに身をおく看護師も多くいるのが

看護師としてぱんだが目の当たりにした現状です。

 

しかし、病院クリニックは全国どこでも乱立しておりますから、

看護師資格さえあれば、正直どこでも勤務することは可能です。

そう、可能であるけれども…と、いうところで皆就職に迷うんですね。

 

医師は、診療科目ごとに役割が整理されておりますが(外科医、消化器内科医、眼科医とか)

看護師は特にありません。勤務したところが消化器内科だろうが、外科だろうが、

すべてにおいて 『看護師』 なんですよ。

 

単に、専門領域で勤務する「看護師」なんですよ。

 

つまり、消化器内科でやる看護も、外科でやる看護も、

看護としての業務は全て同じである という理屈ですね。

 

どこにいってもおんなじ看護…とはいえ、

外科の看護師は外科の専門的な役割が与えられていたりします。

内科や、精神科においてもそうです。その専門的な役割が、肩書きとして

認められていないのが現状です。

 

簡単に言えば、知識があってもそれを名刺に書くことができない。

『外科病棟での経験があります…』と添えているだけなんですね。

今でこそ、看護師にも「〜科認定看護師」やら「〜科専門看護師」といった

上級資格が存在しておりますが、まだまだ一般の社会人にとって、

認定看護師がなんなのか、フツーの看護師とどう違うのか までの

周知には至っておりませんね。(医療ヲタクならわかるかもですけど笑)

 

そんな、「医療業界のなかで看護業務をするのが看護師」という常識。

 

看護師の行っている看護は、対 患者さん(利用者さん)でしか

なり得ないんでしょうかね。

 

ぱんだは以前より、すべての人が看護を学ぶべきであると力説しています。

一般企業においての新人教育に看護の思考プロセスを用いることも当然、できるんですよ。

看護師は、看護業務を目に見える形でやっているだけなんです。

 

一般人が、誰かのために役に立つ行動…そのすべては

看護の考えに通じているんですよ。

 

決して、病院施設クリニック、はては 看護と銘打っている存在だけが

看護を提供しているわけではないんです。

 

看護は日常生活全てに影響を与えています。

 

あなたがやった手助けを、看護学で説明することが可能です。

医学的な根拠で説明することができる手助けは、立派な看護行為なんです。

 

看護師の仕事は、診療業務の補助に限りません。

日常生活の世話を、医学的な視点で 治癒や寛解に向けた「ケア」として

目に見えるように、理解できるように提供しているんです。

 

その日常生活の問題点は、病気の人以外にも、今現在

働いて生活をしている、すべての社会人が抱えるものです。

 

看護は、病める人に役立つだけではありません。

むしろ、健康な人のために役立てるべき学問なのです。

 

看護師が看護をやるのは当然です。

それ以上に看護師は、人間の人生に生じるすべての問題解決プロセスに

関われる必要があると思います。

 

否定するわけではありませんが、病棟看護師は、病棟にいる患者さんにしかケアが実施できません。

 

これから病気になりそうな、今はまだ悪化はしていない状態にいる社会人まで、

手を差し伸べることはできないのです。

これは、著しく看護のスケールを縮小させています。

 

看護は病院、しいては医療界だけで発現されるものではないということ。

 

友達の相談に乗ることだって、立派な「傾聴」という看護技術なんですから。

 

看護は目にみえてわかるものじゃありません。ですが、

”ケア“を受けて“楽になった…”と実感できるのは、人間だからなんですよ。

遠い未来、AIお世話ロボットができたとしても…

看護は人間にしかなし得ない業となるでしょう。

 

まとめに入ります。

 

人間の生活を医療的側面から改善していく役割を担うのは看護師です。

 

しかし、広義の意味で、生きる上での悩みや問題に対して改善のために働きかける行動、

それはすべて、看護と言えます。

 

生活の中にある看護を、社会人すべての人に気がついてほしい。

そして、看護への理解を深めていってほしい。

 

看護は、生活に関わるすべての学問に関係しています。

倫理、哲学、心理学、経営学

 

人間の生活の健全な維持に直結する

中範囲理論を統合した学問、それが看護学です。

 

 

意外でしたでしょうか。ここまで長く

看護の役割についてお伝えしてきましたが、まだまだ、

ぱんだが現代社会に説きたい話はあります。

 

社会における看護の役割論理について、

こんどはさらに、一般社会に通じる具体的な話をしていきましょう。

んんwww看護師における役割論理について説明するしかありませんなwww

 

こんにちは。ぱんだです。

最近 ポケモンにハマっています。そこで、興味深い思考パターンを見つけました。

 

ポケモンガチ勢の間で布教されている、

ポケモンバトルの戦い方の事です。

 

ポケモンとは言わずとしれた

モンスター同士を戦わせ、トレーナーとしての最強を目指すゲーム…

アニポケはストーリーとなっておりますが、

この論理はゲームにおけるバトルについていくつか宗派があります。

 

わからない人は、『ポケモン 役割論理』で検索する以外ありえないwwww

 

さて今回は看護師をポケモントレーナーに見立てた場合の話をします。

まずは概要をお読みください。

 

https://w.atwiki.jp/yakuwarironri66/pages/526.html

 

役割論理以外の、二番煎じ理論とされる宗派が載ってます。

いや、二番煎じ理論とは役割論者の立場からそう言っているだけなのですが。笑

 

さて。論理についての知見を得たところで本題です。

 

 

看護師の貴殿は、安心できる職場で働けているだろうか?

 

看護師にとって、最も頭を悩ますのは同僚、上司との関係ではないでしょうか。

患者さんとのトラブルかなんかで辞めざるを得ないことはあるかもわかりませんが、

多くは人間関係に悩むものだと想像します。

 

このポケモンのバトル論理は、対人戦である人間関係にも

当てはめて考えることもできるとぱんだは思っています。

まあーここまでいうと看護師に限らず通用する理論だとも思えてきますが…

 

人間関係の空間がバトルの空間だとして。

 

“負けない”ように戦うのか、

“勝つ”ために戦うのか。

 

両者は勝つことを目的にした場合の思考パターンです。

 

 

ポケモン世界ではmトレーナーはポケモンを使役してバトルを行います。

ポケモンとはつまり、自分の分身であり、攻撃技、補助技を扱える存在です。

 

看護師でいえば、自分の人格をポケモンに例え、行動選択が技に該当するとします。

 

ようは、社会における人間関係など、RPGのように

考えてしまえば、網羅できてしまうと言えるのかもしれません。

 

人間関係に感情を振り回されてはなりません。

人間関係が混戦する職場は、いわばバトルフィールドと言ってもいいでしょう。

自分がその場でどんな行動をすればいいのかを常に要求される。

ターン数など分からないほどに。

 

ポケモンバトルでは、ポケモンの特徴、戦況を判断して

技を選択していると思います。

 

しかし、ゲームとしては理解できるのに、リアルの人間関係に置き換えてみれば

広義な意味で、それは日常生活における他者との交流でも

無意識に生じていることではないですか??

 

ゲームとは数学の延長にあるものです。

考えを一旦、システマチックにしてみましょう。

3日も意識すれば慣れます。

 

社会でしか関わらない人間など、所詮 「情報」に過ぎない。とぱんだは考えます。

 

悪口を言われる、嫌がらせをされる、

 

ここで、受け身で考えてはなりません。

感情と思考が混同すると、被害的な思考に陥ります。

 

ではシステマチックにどう置き換えるかといえば。

 

悪口を言っているという情報。嫌がらせをしているという情報。

 

情報が、自分に入ってきている状況…と。

 

このように言い換えます。感情は後回しです。

 

 

もし社会での立ち振る舞いがうまくいかないと思うのであれば、

仕事中ぐらい、怒りや悲しみを捨てなさい。業務において必要ないし、それは判断を鈍らせる。

 

特に感情労働と言われる看護師や教師などに言えることですが。

 

職人ならば、感情こそ捨てるべきである。

 

何のために3年以上も豚箱で技術を学んだというのでしょう??

感情すら、業務用として患者にケアとして提供する仕事。

それが看護師ですよ。

 

傾聴というコミュニケーション技術の極意は、

たとえ看護師が聞き流していながらも、相手が「きいてもらってる!理解してもらえてる!」と

勝手に思いこむような返答、対応ができることです。

 

死にたいです、だの 当てのない不満や不安……

はっきりいって そんなんいちいち受け止める必要なんかないんですよ。

 

相手が「話を聞いて楽になってもらった」と思うこと。

これが目的なのです。

 

傾聴は話を受け止めることではないんです。

 

受け止めてくれた、と思ってくれる対応をすること です。

 

そういうことを踏まえるならば、看護学とはつまりは理論。

 

そして、

 

役割論理とは、持てる全ての”看護技術“で人間関係を蹂躙できる論理!!

看護界における忍耐論理は大概にして自滅するのですぞwwwwwww

 

看護をシステマチックにする。

 

病棟看護師を全てAIロボットに置き換える野望が、

ぱんだにはあるんですなwwww

 

我が労働要員などありえないwwwwwwwww

 

てなわけで また今度!ブログでお会いしましょう。

「看護師は看護する以外ありえないwww」「さっさと看護しなよ。すぐでいいよ。」

どうも。ゆっくりぱんだです。

 

 

 

 

看護師は看護をします。当然です。

 

そう、当然。

 

しかしぱんだは思うのです。

 

これだけ看護の考え方が十人十色なのに関わらず、

どうして、みんなおんなじ平均点になってしまうのでしょうか。

 

ポケモンバトルに喩えるなら…

 

ほんとは100レベあるのに、

無理やり50レベに調整されるあのバトルのようです。

 

それぞれ得意不得意のある人間が、

今日はリーダー、今日はメンバー、今日はフリー、委員会…など、

一人が全ての役割が出来なければならないカラクリ。それが看護の文化です。

 

実施が適切で丁寧な看護師はメンバーの方がうまく動けるだろうし、

技術は不得手でも状況を把握して役割を判断できる看護師はリーダーにおくべきだし、

教育が好きな人はプリセプターを任せればいい訳だし、そうなんだけど…

 

どうして看護師は、適材適所ではなく、人を平均点に押し込む仕組みの中にいるのでしょうか。

 

誰がなにをやってもそれなりに動く、そうで無ければ

人員が確保できないという事なのでしょうけどもね。わかってはいるけど。

 

こういう、個人の得意が活かせない環境が、ぱんだは嫌いになりました。

 

看護師として……その前に、

看護師も一人の人間なんですよ。看護には、人間の人生観が反映されるんですよ。

だって、看護は生活のための学問なのだから。

それぞれの看護観が生かされる環境が、今の看護界に存在するのか。

 

一遍通りの看護などありえないwwwwww

 

まず病棟看護師なんぞ辞める以外ありえないwwwwwww

 

 

もうぱんだは、現場に戻るつもりは、今のところありえないwwwwwwwww

 

 

ぱんだはノンキャリア看護師ですけどね。

今後一切の看護師としての臨床経験を捨てます。

 

看護界では、ブランクとなってしまうような

環境に身を置くことにします。夜勤出来ず、給料は

OL並みの賃金となりますが…  それでも!!!!!

 

個人の得意が活かせない環境など!!!!

喜んで出て行ってやる!!!!!

 

つまらない看護などやるな!!!!!

 

看護師は、看護だけが取り柄じゃないんだってこと。

 

そして今生きている人間は、誰でも皆 看護をすることができるということをもっと知るべきだと思うよ。

 

 

看護師だけが、看護をしているのではなく、

看護師は、看護を目に見えるものとして表現しているだけなんだよ。

 

わかったら ぱんだに協力してね。

このブログをみた人間よ。

 

ここに述べたぱんだの思いを広める以外ありえないwwwww

 

精神ってネットに移せたりして?

 

パルストランスミッション!!!!

 

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知ってますか?ロックマンエグゼ!!そう!青いあの子です。

ただのアニメじゃありません。ナビ という

ネットワーク上で活動できる人格データを所有する事で、日常生活の世話や

ネット上の情報管理とかやってくれる、いわば

人格を持ったAIと共存している世界が舞台になっている話なんです。

 

まあ、人格を持った時点でなんら人と変わらないような

喜怒哀楽な反応や思考を持つわけなんだけどね…AIと呼ぶには、

一人として捉えるべき存在になるんだけど…

 

もし、精神がネットに移せるなら、スパイキッズ3?みたく

異空間でオレT UEEEEEEE!!状態になれるかも知んないんですよ。

 

人の思考って何が原料になってるんでしょうか?

ニューロンの電気刺激……?人の脳にある電流をデータ化できれば、

それは…精神をネットにうつす事ができるって、事ですよね。

意識をネットに繋ぐ…そんなことってできるのか。

 

ぱんだは思うのです。すでに人間はできるのではないかと。

 

人間は、夢を見ますよね。夢。

夢の中で、自分として存在することもあるし、違う誰かとして

存在していたりする…ぱんだは、夢の中でいろいろな経験をしました。

未経験なことも、経験しました。イケナイこともしてました。そりゃアベコベなことはあります。

夢を見ているときに、夢って、気がついたことはないんですけどね…

 

でも。世にいる一定数の人間は、幽体離脱とかを実現できているとか…

 

夢をいつも期待して見ているのではないですけど、

ぱんだは見た夢をいつも夢分析として検索しているので、いちいち覚えているんです。

宇宙に行ったり、子供の頃に戻っていたり、経験した事が元になった、

過ごしたことのない時間を過ごしているかのような、感覚。

 

現実で体験できないことを、無理に現実でやろうとしなくたっていい。

夢ならなんだってできる。それも、現実に何一つ影響を与えず。

 

胡蝶の夢という言葉がありますね。

一国を築きあげた栄誉の末に、いつもの木陰で目が覚めたという逸話。

 

胡蝶の夢でいいじゃないですか。そもそも人間の一生でできることなんか、

胡蝶の夢にも満たない程度のことなんですから。現実で難しいのなら、

夢の中ぐらい、自由になったって、いいじゃないですか…

 

なんなら、体ごと夢の世界に行ったっていいんじゃないか…

 

自分にとって都合のいい世界が、例えばバーチャルで作れたとするなら、

肉体なんていう時間の限られたモノなんか捨てたくなりませんか?

 

ぱんだは、そんな願望がありますよ。

永延に、自我を保ったままでいられる空間を、人間は

本当は知っているのかもしれない。

 

今晩見る夢を、明日の朝まで覚えておくことを、試しに

練習してみると、この憂鬱な社畜生活において、癒しになるかもしれませんよ。

いまの自分のまま、時にはリフジンに、時には願望が叶えられたようなシチュエーションを

経験できる機会なんて、寝ている時間ぐらいなのかもしれません。

 

人間の思考は誰にも覗く事が出来ない領域。

最後のプライベートゾーン。

 

人の思考が伝わるような、テレパシーに憧れた時期はあったけど。

それはプライバシーの崩壊を意味することになるって、わかっておくべきでしょうね。

 

さあーて今晩は、どんな夢がみれるのか!!

 

擬似パルストランスミッション!!!してきまーす^^