ぱんだが死ぬ前にヒトを愛したかった話

私ぱんだはもうすぐ死にます。その前に、みんなに言っておきたいことがあってね。

社会で生活する健康な現代人への看護師の役割論

 

役割看護論者のぱんだです。こんにちは。

 

現代の看護師の役割が あまりにも

狭すぎることについてお伝えしていきたいと思います。

 

ポケ廃の常識である、役割論理のロジカル語法は封印します。

今回は一般の方々に向けた内容になっております故。

マニアックな話はありません。どうぞ よろしくお願いいたします。

 

さて

 

今まで30年近く生きてきた現代人にとって

看護師の印象とは、クリニックで働いている注射する人、とか

病棟で患者の身の回りの世話をしてくれる人…

 

まぁこう言った認識がほとんどだと思います。

医療関係に触れたことのない人の認識なんてそんなものだと思ってます。

 

医療従事者の常識が、一般企業に勤める社会人の非常識であること。

これは医療従事者にとっては然るべき問題です。

病院に関わらない全ての社会人にむけて、

最新の医学の周知、医療の提供をすることも我々医療従事者の役割です。

 

これまで 様々に医療・福祉は発展してきました。

多様化していく医療に合わせて、看護師の働く場所も

病院・クリニック以外にも、実はとっても多いんですよ。

 

とは言いましても…

 

実際、看護師として働こうと思った時。

かなしいけど 病院・クリニックを選ばざるを得ない現状があります。

企業などの求人は枠が確かに少ないです。他は短期バイトなどは

ありますが、常勤で働かなくては生活の保証がありません。

結局募集がないことが理由で、病院・クリニックに身をおく看護師も多くいるのが

看護師としてぱんだが目の当たりにした現状です。

 

しかし、病院クリニックは全国どこでも乱立しておりますから、

看護師資格さえあれば、正直どこでも勤務することは可能です。

そう、可能であるけれども…と、いうところで皆就職に迷うんですね。

 

医師は、診療科目ごとに役割が整理されておりますが(外科医、消化器内科医、眼科医とか)

看護師は特にありません。勤務したところが消化器内科だろうが、外科だろうが、

すべてにおいて 『看護師』 なんですよ。

 

単に、専門領域で勤務する「看護師」なんですよ。

 

つまり、消化器内科でやる看護も、外科でやる看護も、

看護としての業務は全て同じである という理屈ですね。

 

どこにいってもおんなじ看護…とはいえ、

外科の看護師は外科の専門的な役割が与えられていたりします。

内科や、精神科においてもそうです。その専門的な役割が、肩書きとして

認められていないのが現状です。

 

簡単に言えば、知識があってもそれを名刺に書くことができない。

『外科病棟での経験があります…』と添えているだけなんですね。

今でこそ、看護師にも「〜科認定看護師」やら「〜科専門看護師」といった

上級資格が存在しておりますが、まだまだ一般の社会人にとって、

認定看護師がなんなのか、フツーの看護師とどう違うのか までの

周知には至っておりませんね。(医療ヲタクならわかるかもですけど笑)

 

そんな、「医療業界のなかで看護業務をするのが看護師」という常識。

 

看護師の行っている看護は、対 患者さん(利用者さん)でしか

なり得ないんでしょうかね。

 

ぱんだは以前より、すべての人が看護を学ぶべきであると力説しています。

一般企業においての新人教育に看護の思考プロセスを用いることも当然、できるんですよ。

看護師は、看護業務を目に見える形でやっているだけなんです。

 

一般人が、誰かのために役に立つ行動…そのすべては

看護の考えに通じているんですよ。

 

決して、病院施設クリニック、はては 看護と銘打っている存在だけが

看護を提供しているわけではないんです。

 

看護は日常生活全てに影響を与えています。

 

あなたがやった手助けを、看護学で説明することが可能です。

医学的な根拠で説明することができる手助けは、立派な看護行為なんです。

 

看護師の仕事は、診療業務の補助に限りません。

日常生活の世話を、医学的な視点で 治癒や寛解に向けた「ケア」として

目に見えるように、理解できるように提供しているんです。

 

その日常生活の問題点は、病気の人以外にも、今現在

働いて生活をしている、すべての社会人が抱えるものです。

 

看護は、病める人に役立つだけではありません。

むしろ、健康な人のために役立てるべき学問なのです。

 

看護師が看護をやるのは当然です。

それ以上に看護師は、人間の人生に生じるすべての問題解決プロセスに

関われる必要があると思います。

 

否定するわけではありませんが、病棟看護師は、病棟にいる患者さんにしかケアが実施できません。

 

これから病気になりそうな、今はまだ悪化はしていない状態にいる社会人まで、

手を差し伸べることはできないのです。

これは、著しく看護のスケールを縮小させています。

 

看護は病院、しいては医療界だけで発現されるものではないということ。

 

友達の相談に乗ることだって、立派な「傾聴」という看護技術なんですから。

 

看護は目にみえてわかるものじゃありません。ですが、

”ケア“を受けて“楽になった…”と実感できるのは、人間だからなんですよ。

遠い未来、AIお世話ロボットができたとしても…

看護は人間にしかなし得ない業となるでしょう。

 

まとめに入ります。

 

人間の生活を医療的側面から改善していく役割を担うのは看護師です。

 

しかし、広義の意味で、生きる上での悩みや問題に対して改善のために働きかける行動、

それはすべて、看護と言えます。

 

生活の中にある看護を、社会人すべての人に気がついてほしい。

そして、看護への理解を深めていってほしい。

 

看護は、生活に関わるすべての学問に関係しています。

倫理、哲学、心理学、経営学

 

人間の生活の健全な維持に直結する

中範囲理論を統合した学問、それが看護学です。

 

 

意外でしたでしょうか。ここまで長く

看護の役割についてお伝えしてきましたが、まだまだ、

ぱんだが現代社会に説きたい話はあります。

 

社会における看護の役割論理について、

こんどはさらに、一般社会に通じる具体的な話をしていきましょう。

んんwww看護師における役割論理について説明するしかありませんなwww

 

こんにちは。ぱんだです。

最近 ポケモンにハマっています。そこで、興味深い思考パターンを見つけました。

 

ポケモンガチ勢の間で布教されている、

ポケモンバトルの戦い方の事です。

 

ポケモンとは言わずとしれた

モンスター同士を戦わせ、トレーナーとしての最強を目指すゲーム…

アニポケはストーリーとなっておりますが、

この論理はゲームにおけるバトルについていくつか宗派があります。

 

わからない人は、『ポケモン 役割論理』で検索する以外ありえないwwww

 

さて今回は看護師をポケモントレーナーに見立てた場合の話をします。

まずは概要をお読みください。

 

https://w.atwiki.jp/yakuwarironri66/pages/526.html

 

役割論理以外の、二番煎じ理論とされる宗派が載ってます。

いや、二番煎じ理論とは役割論者の立場からそう言っているだけなのですが。笑

 

さて。論理についての知見を得たところで本題です。

 

 

看護師の貴殿は、安心できる職場で働けているだろうか?

 

看護師にとって、最も頭を悩ますのは同僚、上司との関係ではないでしょうか。

患者さんとのトラブルかなんかで辞めざるを得ないことはあるかもわかりませんが、

多くは人間関係に悩むものだと想像します。

 

このポケモンのバトル論理は、対人戦である人間関係にも

当てはめて考えることもできるとぱんだは思っています。

まあーここまでいうと看護師に限らず通用する理論だとも思えてきますが…

 

人間関係の空間がバトルの空間だとして。

 

“負けない”ように戦うのか、

“勝つ”ために戦うのか。

 

両者は勝つことを目的にした場合の思考パターンです。

 

 

ポケモン世界ではmトレーナーはポケモンを使役してバトルを行います。

ポケモンとはつまり、自分の分身であり、攻撃技、補助技を扱える存在です。

 

看護師でいえば、自分の人格をポケモンに例え、行動選択が技に該当するとします。

 

ようは、社会における人間関係など、RPGのように

考えてしまえば、網羅できてしまうと言えるのかもしれません。

 

人間関係に感情を振り回されてはなりません。

人間関係が混戦する職場は、いわばバトルフィールドと言ってもいいでしょう。

自分がその場でどんな行動をすればいいのかを常に要求される。

ターン数など分からないほどに。

 

ポケモンバトルでは、ポケモンの特徴、戦況を判断して

技を選択していると思います。

 

しかし、ゲームとしては理解できるのに、リアルの人間関係に置き換えてみれば

広義な意味で、それは日常生活における他者との交流でも

無意識に生じていることではないですか??

 

ゲームとは数学の延長にあるものです。

考えを一旦、システマチックにしてみましょう。

3日も意識すれば慣れます。

 

社会でしか関わらない人間など、所詮 「情報」に過ぎない。とぱんだは考えます。

 

悪口を言われる、嫌がらせをされる、

 

ここで、受け身で考えてはなりません。

感情と思考が混同すると、被害的な思考に陥ります。

 

ではシステマチックにどう置き換えるかといえば。

 

悪口を言っているという情報。嫌がらせをしているという情報。

 

情報が、自分に入ってきている状況…と。

 

このように言い換えます。感情は後回しです。

 

 

もし社会での立ち振る舞いがうまくいかないと思うのであれば、

仕事中ぐらい、怒りや悲しみを捨てなさい。業務において必要ないし、それは判断を鈍らせる。

 

特に感情労働と言われる看護師や教師などに言えることですが。

 

職人ならば、感情こそ捨てるべきである。

 

何のために3年以上も豚箱で技術を学んだというのでしょう??

感情すら、業務用として患者にケアとして提供する仕事。

それが看護師ですよ。

 

傾聴というコミュニケーション技術の極意は、

たとえ看護師が聞き流していながらも、相手が「きいてもらってる!理解してもらえてる!」と

勝手に思いこむような返答、対応ができることです。

 

死にたいです、だの 当てのない不満や不安……

はっきりいって そんなんいちいち受け止める必要なんかないんですよ。

 

相手が「話を聞いて楽になってもらった」と思うこと。

これが目的なのです。

 

傾聴は話を受け止めることではないんです。

 

受け止めてくれた、と思ってくれる対応をすること です。

 

そういうことを踏まえるならば、看護学とはつまりは理論。

 

そして、

 

役割論理とは、持てる全ての”看護技術“で人間関係を蹂躙できる論理!!

看護界における忍耐論理は大概にして自滅するのですぞwwwwwww

 

看護をシステマチックにする。

 

病棟看護師を全てAIロボットに置き換える野望が、

ぱんだにはあるんですなwwww

 

我が労働要員などありえないwwwwwwwww

 

てなわけで また今度!ブログでお会いしましょう。

「看護師は看護する以外ありえないwww」「さっさと看護しなよ。すぐでいいよ。」

どうも。ゆっくりぱんだです。

 

 

 

 

看護師は看護をします。当然です。

 

そう、当然。

 

しかしぱんだは思うのです。

 

これだけ看護の考え方が十人十色なのに関わらず、

どうして、みんなおんなじ平均点になってしまうのでしょうか。

 

ポケモンバトルに喩えるなら…

 

ほんとは100レベあるのに、

無理やり50レベに調整されるあのバトルのようです。

 

それぞれ得意不得意のある人間が、

今日はリーダー、今日はメンバー、今日はフリー、委員会…など、

一人が全ての役割が出来なければならないカラクリ。それが看護の文化です。

 

実施が適切で丁寧な看護師はメンバーの方がうまく動けるだろうし、

技術は不得手でも状況を把握して役割を判断できる看護師はリーダーにおくべきだし、

教育が好きな人はプリセプターを任せればいい訳だし、そうなんだけど…

 

どうして看護師は、適材適所ではなく、人を平均点に押し込む仕組みの中にいるのでしょうか。

 

誰がなにをやってもそれなりに動く、そうで無ければ

人員が確保できないという事なのでしょうけどもね。わかってはいるけど。

 

こういう、個人の得意が活かせない環境が、ぱんだは嫌いになりました。

 

看護師として……その前に、

看護師も一人の人間なんですよ。看護には、人間の人生観が反映されるんですよ。

だって、看護は生活のための学問なのだから。

それぞれの看護観が生かされる環境が、今の看護界に存在するのか。

 

一遍通りの看護などありえないwwwwww

 

まず病棟看護師なんぞ辞める以外ありえないwwwwwww

 

 

もうぱんだは、現場に戻るつもりは、今のところありえないwwwwwwwww

 

 

ぱんだはノンキャリア看護師ですけどね。

今後一切の看護師としての臨床経験を捨てます。

 

看護界では、ブランクとなってしまうような

環境に身を置くことにします。夜勤出来ず、給料は

OL並みの賃金となりますが…  それでも!!!!!

 

個人の得意が活かせない環境など!!!!

喜んで出て行ってやる!!!!!

 

つまらない看護などやるな!!!!!

 

看護師は、看護だけが取り柄じゃないんだってこと。

 

そして今生きている人間は、誰でも皆 看護をすることができるということをもっと知るべきだと思うよ。

 

 

看護師だけが、看護をしているのではなく、

看護師は、看護を目に見えるものとして表現しているだけなんだよ。

 

わかったら ぱんだに協力してね。

このブログをみた人間よ。

 

ここに述べたぱんだの思いを広める以外ありえないwwwww

 

精神ってネットに移せたりして?

 

パルストランスミッション!!!!

 

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知ってますか?ロックマンエグゼ!!そう!青いあの子です。

ただのアニメじゃありません。ナビ という

ネットワーク上で活動できる人格データを所有する事で、日常生活の世話や

ネット上の情報管理とかやってくれる、いわば

人格を持ったAIと共存している世界が舞台になっている話なんです。

 

まあ、人格を持った時点でなんら人と変わらないような

喜怒哀楽な反応や思考を持つわけなんだけどね…AIと呼ぶには、

一人として捉えるべき存在になるんだけど…

 

もし、精神がネットに移せるなら、スパイキッズ3?みたく

異空間でオレT UEEEEEEE!!状態になれるかも知んないんですよ。

 

人の思考って何が原料になってるんでしょうか?

ニューロンの電気刺激……?人の脳にある電流をデータ化できれば、

それは…精神をネットにうつす事ができるって、事ですよね。

意識をネットに繋ぐ…そんなことってできるのか。

 

ぱんだは思うのです。すでに人間はできるのではないかと。

 

人間は、夢を見ますよね。夢。

夢の中で、自分として存在することもあるし、違う誰かとして

存在していたりする…ぱんだは、夢の中でいろいろな経験をしました。

未経験なことも、経験しました。イケナイこともしてました。そりゃアベコベなことはあります。

夢を見ているときに、夢って、気がついたことはないんですけどね…

 

でも。世にいる一定数の人間は、幽体離脱とかを実現できているとか…

 

夢をいつも期待して見ているのではないですけど、

ぱんだは見た夢をいつも夢分析として検索しているので、いちいち覚えているんです。

宇宙に行ったり、子供の頃に戻っていたり、経験した事が元になった、

過ごしたことのない時間を過ごしているかのような、感覚。

 

現実で体験できないことを、無理に現実でやろうとしなくたっていい。

夢ならなんだってできる。それも、現実に何一つ影響を与えず。

 

胡蝶の夢という言葉がありますね。

一国を築きあげた栄誉の末に、いつもの木陰で目が覚めたという逸話。

 

胡蝶の夢でいいじゃないですか。そもそも人間の一生でできることなんか、

胡蝶の夢にも満たない程度のことなんですから。現実で難しいのなら、

夢の中ぐらい、自由になったって、いいじゃないですか…

 

なんなら、体ごと夢の世界に行ったっていいんじゃないか…

 

自分にとって都合のいい世界が、例えばバーチャルで作れたとするなら、

肉体なんていう時間の限られたモノなんか捨てたくなりませんか?

 

ぱんだは、そんな願望がありますよ。

永延に、自我を保ったままでいられる空間を、人間は

本当は知っているのかもしれない。

 

今晩見る夢を、明日の朝まで覚えておくことを、試しに

練習してみると、この憂鬱な社畜生活において、癒しになるかもしれませんよ。

いまの自分のまま、時にはリフジンに、時には願望が叶えられたようなシチュエーションを

経験できる機会なんて、寝ている時間ぐらいなのかもしれません。

 

人間の思考は誰にも覗く事が出来ない領域。

最後のプライベートゾーン。

 

人の思考が伝わるような、テレパシーに憧れた時期はあったけど。

それはプライバシーの崩壊を意味することになるって、わかっておくべきでしょうね。

 

さあーて今晩は、どんな夢がみれるのか!!

 

擬似パルストランスミッション!!!してきまーす^^

 

 

 

 

 

専門卒は看護師しかできないよねwえ?そんなことない?

 

ぶっちゃけ看護師になるなら専門学校で十分である。

 

なんていったら大卒看護師に殴られるのかもしれないが

だって実際そうなんだもん。

 

大卒になったところで、専門卒と同じ

クソいじりしてるんだからね。奨学金かりてる私大卒看護師なんて

目もあてられないって感じだけど。

どうせ奨学金かりるならもうちょい頑張って医学部行ったほうがいいんじゃない?と思う。

 

専門学校は3年お礼奉公すれば、現金での奨学金返済は免除される。

それに、卒業前に就活なんかせずとも自動的に系列の病院への就職が決まる。

 

国立病院とか、その他のすっごいところに働きたいなら

大卒になる意味は多少あるのかもしれないけど、結局やることは

ただの看護業務ですからね。クソの世話から採血まで。その他治療診療補助…

 

そうまでして大学に行きたいなら、そこら辺の乱立ブームに乗っただけの

看護学科には行かない方がいい気がする。

結局、医療系で有名な大学の看護学部、あるいは看護大学でないと

大卒看護師 とは認められない風潮がある。

旧帝大看護学部でも十分だと思うけど。

 

だから、大卒になってまでクソの世話したくない看護師が

どこで働いているのか、パンダはとっても気になっている。

訪問?企業?研究職?有名病院?国立?

 

少なくとも、地域のしょぼい病院にいる看護師は

専門卒ばっかりですけどね。

 

というか、専門卒は、大手有名病院への切符は得られないようになっていますからね。

かくいうぱんだも、専門卒の看護師資格で食ってる身ですけども。

 

けど、看護師になるのに最も安く最短ルートなのは、3年制看護学校だけんどもね。

専門学校のメリットはそれなんだよ。安くて最短!しかしこれからは出世できないけどね。

 

で、准看護師の学校はいまや地方にしか無くなっているし、首都圏は

正看護師の学校しかほぼない。

 

でもでも、准看護師は働きながら通えるメリットがある。

わたしは、看護師になるだけなら准看護師でも十分だと思ってる。

やること変わらないし、給料も数千円違うくらい。看護師資格さえあれば

准看護師だろうがなんだろうが差は無い。

けど、いま働いてる准看護師のひとは、いじめられた経験が根強くあるのも事実。

 

古い考えの病院とかは、准看護師ってだけでいじめたりするところもあるし、

准看護師から正看護師になるための学校でも、教員から学生准看護師いじめがあったりする。

 

まあそういうリスクを回避するために、多少のお金をかけて

正看取っちゃうほうが、理不尽に当たる確率は減るけども、

看護師界隈自体が貧困層の集まりなところはあるから、

お嬢様は大学に行っちゃった方が価値観の合う学生は多いと思うけどね。

 

貧困層の人間も、お嬢様お坊っちゃん界隈を目のあたりにしてきたぱんだには

わかるけれど、看護師は低脳で野蛮な人間の方が多いです。

 

専門学校にエリートはいない。そう思っておいた方がいいです。

 

大学の看護学部に行くことは否定しないけど、

自分が卒業して、「あれ、こんな扱いされんの…?」って思うぐらいなら、

コストかかって大して専門卒と変わらない仕事する羽目になるんだから、

安易に大学に行かない方がいいかもよ…っていうお話でした。

 

 

いま受験しようと思ってる看護師志望のひとは、

ぱんだが相談に乗りますよ。タダでいいよ。笑

 

じゃあね。

マジカルバケーション5つ星に学ぶ、リフジンの超え方

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2006年に発売されたマジバケDSシリーズ。

どことなく他ゲーム、『MOTHER』っぽい雰囲気も感じるという人もいる。

実際製作者がMOTHERに関わってたとかなんとか?

ぱんだはマザーやったことないんだけどね…

ブラックジョークもおおく、なにかとシニカルな味付けになっています。

 

 

いえね、このゲームについての考察なんて何番煎じでしょうから

致しませんけれども。

 

ただ、なんとなくこのゲームにあるリフジンな展開って、

まさに日常生活の苦い展開そのものじゃぁないかって、思うんです。

 

出張から帰還しない主人公たちの担任の先生を助けにいくも、

世界は救われたが先生は助けられなかったという

100%のハッピーエンドではない展開が、ぱんだの心には残りました。

 

なぜ主人公の担任の先生が、悪の首領に捕らえられたのか。。。

なぜ担任の先生が命を落とすことになったのか…

主人公たちは、どんな面持ちで故郷の星に帰ったのか……。

本編では扱えなかった、サイドストーリーを知りたい気持ちにもなりました。

 

本編では、主人公たちは先生を追ううちに、世界の消滅が予期されていることを知り

先生を助けるために 世界を消滅させる大きな虫を掃討しなければならなくなり、

悪の首領の計画は頓挫に終わるが担任の先生は助からなかった‥…

決して、世界を救うために旅をするなんて主人公たちは毛頭考えておらず、

主人公らもまた、悪の首領にとっての被害者にあたるわけです。

 

また、悪の首領も初めから世界を消滅させることは考えなかった人間であるということを

忘れてはなりません。

 

かつての政治を変えるべく、正義を唱えた人格者であった彼が、

人に裏ぎられ、虐げられ、貶められ、人を、世界に復讐を誓う者になってしまった。

 

彼は世のために頑張っただけだったのかもしれない。

しかし、守ろうとした世界に、信じていた正義に裏ぎられたのでした。

 

悪の首領が世界を滅ぼすのではない。

悪の首領を生み出すのは、人の私利私欲なのかもしれない。

 

素直な彼が犠牲になった。そして

世界の中枢に関わるものであったその男は、彼なりに信念を貫こうとした。

絶望を塗り替えるには、世界をやりなおすことが必要だと。

 

かつての恩師の声すら届かぬほどに、彼の絶望はあまりにも果てしなかったんでしょう。

 

盛大な無理心中を、彼はやってしまっていたんですね。

 

この話を一言で言うなら絶望と絆。

 

同じぐらいの強い心の力。

同じ力なのに、まったく違う温度のものですよね。

 

現代社会に当てはめてみましょう、絆を感じる機会はほとんどない気がします。

 

絶望のなかに、絆の力を見出せるか。

それはもう奇跡と言って良いのかもしれませんね。

絆はお金で得られる物じゃない。絆は、心の富でつくれるものです。

 

心の富?かんたんな話です。

かの主人公たちのように、「先生を助けたい。助けて、帰って、また授業を受けたい」

 

それだけなんですよ。ささいな信念でも、決して大きな決心などではない。

 

それは世のどんなものよりも

固く、砕くことのできない希望に変わるのだと思います。

 

親や先生に褒められたい。そうおもって頑張った事があったでしょう。

 

かつての我々は、いま現在も、その頃のままなんですよ。

褒められるために生きたって、いいと思うんです。

 

大志なんかなくたって、夢は望んでいれば、いつかはたどり着くんですから。

100%の結果じゃなかったとしても、周りをみれば、仲間がいる。

 

それだけで生きるのには、十分なんじゃないかなって、ぱんだは

このRPGを思い出す事で気がつく事ができた気がします。

 

 

「あなたじゃなきゃダメ」と言って欲しい現代の青年たちへ

 

どうも。最近新生活がはじまったぱんだです。

 

ぱんだの直近の友人はたしかに少ないです。でも、

これも断捨離した結果です。友達なんて、自分の暇な時に

ちょーっと戯れて、あーだこーだ言えればそれで十分なんですよ。

 

けど、人に対して失礼なことは絶対にしてはならないし、

今いる友人は、節度ある関わりが出来る人たちです。そういう人の

力になれる機会があれば、いつでも手伝いに行きたいと思っていますよ。

 

ぱんだのかつて関わった人の中には、失礼な人が大半でした。

貧乏人と関わりすぎたのかもしれませんが。

 

さてですね。本題です。

 

自分を必要としてくれる人はいまどのくらいいると思いますか?

 

 

付き合ってる人がいる?それは本当に必要とされている?それは利用されているかも?

 

自分にしかできないことはありますか?

唯一無二のなにかは、ありますか?受け入れてくれる他者はいますか?

親は、あなたを受け入れていますか?褒めてくれますか?

 

自信を持って私は〜〜だ。って言えますか?言えるなら大変嬉しい。

そういう人は、どんな人にも愛され、命を大切に出来る人です。

ぱんだも、それなりに生きてきましたからね。それなりに話せますよ。

 

そして、これまで生きてきた自分の価値感、考えを自分の言葉で表現できますか?

できるひとに、みんなは安心して身を委ねることができる。

そういう人のところに、信頼が集まるのだと思いますよ。

 

でも、ぱんだに信頼があるかどうかはぱんだからはわかりません。

それは他人が判断することですから。ぱんだはこれからも努力するしかないだけですよ。

自分で信用がありまっす!なんていう人がいたら逃げたほうがいいと思いますよ。

 

なんで、表現出来る人が他者から評価されるかわかりますか??

 

それは簡単です。なにを考えてるかわからない人に、普通に考えて

自分を見せようなんて思わないでしょう。第一、正体のわからない人と関わった

ところで、いつ斬られるかわかったもんじゃないからね。

臨戦態勢は崩せないですよやっぱ。

 

そしてお互いの正体がわかってきた頃、打ち解けてきた時にだって

いつ憎しみや嫉妬を抱かれるかなんてわかったもんじゃない。

本当にじぶんを気遣ってくれる隣人なんて、一人いればいいんですよ。

 

鎧を脱いでもいいんだって思えましたって、テレビの婚約発表で

言ってる人がいたけども、そうなんだよね。本当に。

いい意味で、自然体でいられる。自分の弱いところも含めて、

自分のそばにいてくれる人。時に忠告をしてくれる人。時に一番、頼りになる人。

 

それが友人なのか家族なのかは知らない。けれども、

人との関わりは、全てが縁。私は少しでも、私と関わった人が今よりも前に進んで欲しいと

思っている。そのきっかけの一助になれるなら、それより嬉しいことは無いと思う。

縁を大事にするって、そういうことだと思う。…宗教ではないよ^^

 

で、肝心なことを言わせてもらいます。

仕事をやめようかどうしようか迷ってる人間にこそきいて欲しい。

 

“あなたじゃなきゃダメなんて言葉を仕事で言われると思うな”

 

もう一度言いますよ?

 

“あなたじゃなきゃダメなんて言う言葉を仕事で言われると思うな”

 

 

仕事で過労死する人にこそ、そこまで頑張れることは逆に才能だと思うけど、

やりすぎだって、とめてくれる人がいなかった事が、死んでしまった原因だと思う。

“とめたんだけど………あの時………”って、言うぐらいなら、刺し違えてでもその人を隔離をしなさい。

大事な人だと思うなら、命がけでその人を縛りなさい。

 

そうでもしないと、死のうとしている思考の力は、簡単にその人間を死なせてしまうからね。

 

辛いって言ってた人が、辛いって言わなくなった時が、最も危ない時ですよ。

立ち直ったんだ。なんて安易に思ってると、いつのまにか亡くなってるんですからね。

 

なので、人を守るのに、無知は罪だと言うことを、よくよく知ったほうがいい。

無知な人が子どもを設けるなんて以ての外。事故を知っていること、想定していること。

治安を知ること。地域の雰囲気を知ること。社会を知ること。

自分の知識全てが、自分を守ることにも、他者を守る力にもなれる。

 

誰からも必要とされてないと感じるなら、それを人に伝えてみるといい。

そもそもあなたは、その人を必要としているの?

 

仕事で自分を認めてもらいたいなら、雑用までも積極的にやりなさい。テーブルを綺麗にしなさい。

そういう地道な行動が、認められるんです。自分の心の中に、揺るがない財産ができる。

あいつは信用できるかどうかわからない、だった印象が

誰もやりたがらない仕事を引き受けてくれるなら、頼みがいがあるってもんだ。なんて

評価に変わるかもしれない。大きなアクションなんて必要ないんだって。

 

っで。ぱんだは自分のことにはてんでダメなんですよね笑

とりあえず1畳半の生活スペースがあれば、もう十分なんです笑笑

 

なんでかって?

 

大事なものは、全部ぱんだの心の中にあるから。

誰にも盗まれたりしない、一番安全な場所は、自分の心なんだよ。